旅の終わりが近づいてまいりました。
2011年2月21日 お江戸日本橋旅立ちました、板橋の宿場を皮切りに
高崎宿・横川・釜飯を食さないで碓氷峠越え、結構しんどい(道が大荒れ)
望月の宿場は旅籠が無く、タクシーに乗り 近くの春日温泉にお世話になり
和田峠越え寒い時期でした、塩尻の銀嶺峠は完全に雪道、往生しました、
木曽路は、妻籠の宿場・細久手宿(大黒屋)1859現在も変わらず営業中
美濃路を経て近江路え暑い盛りに瀬田の唐橋越え この日になりました・
石山駅から京都を目指します・2012年9月29日
石山駅前 観光案内板 10:20
昔の松並木の残り松
お地蔵さん
10:50 若宮八幡宮
11:35
義仲寺(ぎちゅうじ)
JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300mにある寺院。義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。
江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」など数多くの句碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。このほか、本堂の朝日堂(ちょうじつどう)・翁堂(おきなどう)・無名庵(むみょうあん)・文庫などが立ち、境内全域が国の史跡に指定されています。
13:13大津宿本陣跡
コースま違いで、涙涙、
13:10 逢坂の関
京都市の看板
顔を白く化粧したお地蔵さん
峠を越えて粟田口から入京です
15:41 完歩
三条大橋(さんじょうおおはし)は、京都市にある三条通の橋。鴨川に掛かっている。
橋が架けられた時期は明らかではないが天正18年(1590年)、豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱の橋に改修された。江戸時代においては、五街道のひとつ東海道につながる橋として、幕府直轄の公儀橋に位置付けられ、流出のたびごとに幕府の経費で架け替え・修復が行われた。現在の橋本体は2車線、歩道付のコンクリート製で1950年(昭和25年)に作られた。
戸時代に出版された『東海道中膝栗毛』の主役である弥次郎兵衛と喜多八の像がある。
ついに、江戸日本橋から百三十五里余りを歩きました。
千年の都は吾輩を快く迎えてくれたようです。
中山道69宿場町 通過しました、
石山~義仲寺ー4,2キロ
義仲寺~逢坂山ー3,5キロ
逢坂山~三条大橋ー9,1キロ
16,8キロ
もし、中山道歩かれる方、旅籠の心配は必要
旧道を歩くと、コンビニは有りません、食事は、弁当
水持参・・
日光街道&御成り街道
中山道
次回は・・京都から江戸に下ります・・・
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