2011年3月7日月曜日

安さん中仙道を行く 旅2日目 庚申塚~大宮宿

3/5中仙道を行く 2日目になりました。

旅の始まりは日本橋でした・

吾輩の家は綾瀬ですので順当にいけば  板橋宿が

始まりかと思います・

都電に乗り庚申塚まで・・8:46.旅の始まりです




春ですね~さくら餅





此処で記念撮影9:00


板橋JR駅踏切 駅前には 近藤勇の墓

慶応四年、流山で捕えられた新撰組局長、近藤勇は、当時板橋に

おかれた新政府の本陣に、送られ宿場の外れで 処刑された。お墓は

板橋駅東口前に建てられています・


踏切を越えると 板橋の三宿の一つ 平尾宿・中宿橋から先を上宿と言い

三宿を総称して板橋宿と呼ぶ

中心には本陣・問屋場・旅籠・あり 見送り人・飯盛り女目当て

結構な賑わいを見せた・




観明寺 山門の入り口に寛文元年の庚申塔が、境内には
加賀藩下屋敷から移築したと伝えられる 豊川稲荷が祀られてます
9;36.

板橋観光センター 非常に気持ちの良いご案内を受けました・
資料も頂きありがとうございました。



江戸時代には境内に馬のつなぎ場が有り、幕府公用の伝馬、なぞが
つながれていた、境内にまつられる寛政10年(1798)
建立の馬頭観音塔が 寂しく草に埋もれてる・


板橋本陣後 ライフの隣個人の玄関にある
本陣は、参勤交代の際 街道を通行する幕府役人などが宿泊した
参勤交代が無い場合一般も泊めた。

板橋  9:56.
日本橋より2里25町33間 (約10.641m)



江戸の時代の板橋とは 消防車の止まってる方です。
石神井川に架かる橋で、板橋の地名の発祥となつたといわれています、
太鼓状の木製の橋、長さ9間(約16.4m)
幅3間(5.5m)ありました。昭和7年コンクリート製に架け替えられ、
昭和47年石神井川に架かる橋で、石神井川の改修工事に合わせて現在の橋が
完成しました。
交番のある広場

縁切り榎  10:02.
昔ら榎は、縁を切ると結う言葉から、災厄を防ぎ、旅人の安全を守る
境の神と考えられ、村や町のはずれに植えられました。板橋宿では
男女の縁切りがとくに強調されたため、縁を切りたい人や逆に
悪縁を絶って良縁を求める人から信仰を集めた
江戸時代には反対側でした。



国道17号と合流  10:17.


志村一理塚  10:31.




日本橋から数えて3番目の一理塚
東京で完全な形で残ってる貴重な塚。国の史跡
日本橋から3里(約12キロ)



志村坂上から旧街道に入る、交番の前
最初の難関の旧坂です。清水坂
記念写真 パチリ
10:43.

11:09.


11:13.
東京都の県境



中仙道戸田の渡し場



荒川対岸を見る(川口)

記念にパチリ


橋の途中  11:22.


11:28.
蕨側 案内板


11:35.
水神社 渡し場の後

国道17号 蕨宿まで淡々と進む・
やばい、カメラの電池赤ランプだ嘘・・
12:10. 蕨宿入口




蕨宿の観光案内板
観光案内所に立ち寄りマップを頂く


江戸時代の旅籠の風景
資料館の中


蕨宿は、中仙道の宿として慶長17年ころに設立されたといわれてます。
本陣2軒、脇本陣1軒、問屋場、旅篭などが軒を連ねる
町場とその外側の農村部とで、構成されてました。
町場は用水路で過去まれており1.300人がくらしていた。
蕨宿全体で人口2.200ぐらい。

三学院 オヒョ~ 12:43.


子育て地蔵&六地蔵尊




三学院本堂 

あげ橋  13:03.
裏の田畑に出入りの為使われてました。
現在は暗きょうとなり使われてません・


蕨の宿場景色   13:06.

これより、写真がございません。
一七号線を越え旧道をひたすら歩く
外環状との交差点の角に 一理塚跡
昔この辻地区は湿地帯で村人は大変難儀をした、この水難を
守るため水神弁財天を安置し、地区の守り神とするとともに中山道のを
旅する人々の安泰を願った・
六辻の交差点で一七号を越えて旧道を行く・
焼き米坂  13:45.
茶店で「名物焼き米の看板をあげて」坂道の途中にあつた・
調神社  15:55.
右手に大きな森が見えてくる、
調神社  「つき」と読む
調とは=朝廷に納める税金の事・武蔵国の調は此処に集められた
神社はその脇にあり、その後「つき」えお月待ち信仰結びつき、
調神社と呼ばれた・
本殿には、各所にはめ込まれた彫刻もすぐれており
特に兎の彫刻はすばらし・・
浦和駅西口入口  14:15.


浦和宿 2-7 市場跡  2:25.
慈恵稲荷神社の境内
浦和市場は戦国時代に開設された、天正一八年「1590」
豊臣秀吉の家臣である、浅野長吉から、喧嘩口論などを禁じた「禁制」
「浦和市」に対して出されてます。
浦和市は月六回開かれ6斎市と呼ばれるもので
江戸時代、十遍社一九が「代ものを、積重ねしは 商人のおもてうらわの宿の賑わい」
読まれえるそうです
東北線を越える   2:47.
北浦和駅前   2:55.
大原陸橋庚申塚  3:10.
大原陸橋庚申塚
与野駅東口 ・・3:15

与野駅前から 素晴らしケヤキ並木
ケヤキてっきょ歩道拡張整備の為 残念
大宮神社一の鳥居  3:35.
大宮駅入り口  3:50.
本日までの距離
             日本橋から板橋宿  9.8km     9.8km
                     蕨宿   8.9km    18.7km
                   浦和宿   5.4km    24.1km
                   大宮宿   4.9km    29.0.1km
無時大宮宿に到着です・・本日の行程は・・巣鴨の庚申塚より 板橋宿を経て戸田橋を渡り
蕨宿・浦和宿・大宮宿と進んできました・
2日目の旅終了しました 残念ながらデジカメの電池切れにより
掲示できる写真がとれなくなり、非常に残念です

これまでは、乾電池のカメラを愛用していましたが、今回、まさか電池切れを起こすなんて
あ~あ  あほやね・・







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